日本ではあまり気にかけることのない宗教。海外に出ると必ずこのことで考えさせられる。
多くの日本人は信仰深いとはいえない。特に僕らの世代なんかは何の宗教も信じていないという人も多いのではないだろうか。初詣に行くから神道ってわけでもない。あれはもう完全にイベント化している。クリスマスもそうだ。日本人は婚礼や祭り等生きている時は神道、死んだ時(葬儀)の時は仏教であるという人もいるようで。たしかに。
僕自身といえば、神というか、人知の及ばない何か超越した存在は信じているが、それはキリストでもアッラーでも仏陀でもない。自分の心にあるもので、誰と共有するわけでもない。木下由宇の神。神道の色が強いのかもしれない。ご先祖様が見守ってくれているとは思っている。
あなたの宗教は何?-
よく聞かれるこの質問に僕は、
文化的に(culturally)神道と仏教だ
と答える。
同じような答え方をするイタリア人やアイスランド人の同世代に出会ったこともある。
日本人の宗教観を説明するのは難しい。
キリスト教やイスラム教を信仰する人が多いアフリカの国々で、無宗教なんて口にすれば、そんなはずはない、神はたった一人、じゃあなんであなたはここにいるんだ、と一気に反感を買う。
こう答えてさえも、おージーザス、なんてかわいそうな人。。。 と言う人もいる。そしてキリストの偉大さを教え聞かされる。あたかも自分の人生を否定されているかのように。
僕は中学生のころ、宗教なんてなくなればこの世から争いがなくなってみんな平和に過ごせるのにと思っていた。しかし今は違う。宗教に支えられながら厳しい状況をたくましく笑顔で生きる人々をこの目で見てきたから。宗教は彼らにとって生きる糧、希望なのだ。よって信仰心は篤い。だから僕はいかなる宗教も否定したりしない。もちろんそんな権利を持ち合わせてもいないが。
しかし、人に自分の信仰を押しつけるのはどうしても許せない。
たいていの宗教では 布教 が徳のある行為となっている。これが僕の納得行かない点だ。
神が本当に人類を愛しているなら、そんな争いを生むようなことはさせないだろう。これはもう教会や団体が存続していくための稼ぎの手段でしかないような気がしてならない。
それぞれ自分の信じる神を信じればいい
ただそれだけのことなのに。
そう思ってはいるが、このアフリカの旅で何度も考えさせられる場面に出会い、何の宗教も信じていない僕は無知で弱いのか と不安になる。
日曜日に家族そろっておしゃれに着飾って教会へ向かう人々や、所かまわずマットを敷いて日に五度の礼拝をする人々を見て、僕には何もないことに気付かされる。なんだろう、この劣等感にも似た感覚は。
みなさんは宗教をどうとらえていますか?よろしければコメントをお寄せください。
これを読んで気分を害された方がいらっしゃったら、申し訳ありません。
どうしても今思うことを記しておきたかったので。もっと勉強する必要がありますね。