首都はリロングウェ、通貨はクワチャ。なんじゃそれ? なマラウイにやってきましたよ-。
カタベイ、モンキーベイ、ケープマクレアーとマラウイ湖の畔をてんてんと移動し、今は首都リロングウェ。この国に入ってスワヒリ語が通じなくなり、なんだかすべてが思うように行かなくなり心が沈んでいます。スランプ。タンザニアではすべてがおもしろいほどうまくいっていたので反動が大きいです。
でもたまに電話でスワヒリ語話してる人見かけたら、アタックしてスワヒリ語で会話して楽しんでます。この前はバスで隣だった人がスワヒリ語知ってて、わざわざバスを降りたあとも宿まで遠い距離を案内してくれて(フリーで。アフリカでは稀)、迷子にならずにすみました。ありがたいなあ。自分もこういう旅先での恩をしっかり返していかないと。
それにしてもこの国は西洋人の旅行者ばかり!水辺が好きな彼ら。どうしてこうも水辺には美男美女が集まるのか。ぼくはカヤックもボートもなんのアクティビティーもせず、ただひたすらくつろいでました。みんなかっくいーなーとか思いながら。彼らは車を手配しマラウイ中を走り回ってます。ぼくのように公共交通機関を使う人は少ないようで、バスとかあんまり発達していません。おまけに燃料が激しく値上がりし、日本とほぼ同じくらいまでになってます。運ちゃんたちはそれに便乗して法外な値段を突きつけてきたりするので、見分ける作業が大変です。現地の言葉が話せればぼられるリスクも減るのに。。。ここで話されるチチェワは2週間程度じゃ覚えられそうにないっす。まあ英語ほとんどのが話せるからまだましです。
宿のドミで一晩一緒だった日本人の旅人に一ノ瀬泰造さんの(地雷を踏んだらサヨウナラ)をいただいて、活字が恋しかったし次の日雨だったから1日で読んじゃったんですけど。読まなきゃよかったと後悔しています
。これ、一人旅中に読むもんじゃないですね。不安が増大し、いても立っても入られなくなります。泰造さんのお母さんが心配して寄せた手紙のところなんて胸が引き裂かれそうで。。戦場にいるわけではないけど 少なからずぼくも家族に心配かけてるんだなと思うとすごく申し訳なくなりました。
以来その本はバックパックの奥にしましこんであります。つぎ日本人にあったらひとりで読まないでくださいと言って渡すことにしましょう。
マラウイ、暑いです!日向は50度近くになります。なんだかのほほんな国です。
昨日は同じドミのマラウイ人の不動産セールスマン(出張できてた)がひとりでジンを二時間くらいで一ビンあけて泥酔し、ベッドをげろまみれにするというたいへんな事件がありました。はじめてみるマラウイ人のげろ。。。すごく茶色い。 あーくさかったなー笑
あしたザンビアに入る予定でいます。うまく国境超えられますように!
タンザニアでの3カ月滞在を終え、お世話になったたくさんの心優しきタンザニアの人々ともお別れ。今回の別れはこれまで以上に辛いものでした。たった数カ月だったけど、この子供たちが僕くらいの歳になった時にタンザニアは、世界はどんなふうになっているのかな としみじみ考えたりします。なんてあたたかい国だここは。
ここにはまた戻ってくるんじゃないか という確信めいたものがあるので、またいつか、仕事見つけていっぱいお金稼いで帰ってきたいと思います。ダルエス大学に通う友達と、一緒にビジネスしたいね ねんて話したし。
居心地のよいところを抜け出すのは少し余計にふんばる必要があります。ぼくはタンザニアとザンビアを結ぶTAZARA鉄道に乗り、860キロ丸1日かけて南部のムベヤまでいき、そこからマラウイに入りました。中国政府によってつくられたこの鉄道。当たり前のように出発が5時間遅れました。国立公園をつっきっているため運がよければ野生動物が見れるとのことでしたが、牛やヤギをはじめとするりっぱな家畜たちしかみられませんでした。けれど、またバスとは違った景色で、へき地の人々の生活も垣間見ることができとてもいい時間でした。
駅で止まるとバナナやらカシューナッツ(タンザニア名産品 めちゃくちゃうまい)やらマンゴーやらをかかえた人々が窓からのぞき込み売り込んできます。子供たちが窓に向かって なおんば、きどご(少しだけ恵んでください)と両手を差し出して、それに向かって集めるとお金になる空のペットボトルや、少額のお金、パン等を投げる乗客。まあ距離があるから手渡しはむずかしいんですけどね。ショッキングでした。
僕は一等席を3週間前に予約していました。同じコンパートメントに4人。なぜか隣の人のでっかいブラウン管テレビや大荷物が詰めこまれぎゅーぎゅう。他の三人はザンビア出身でスペアパーツを売る仕事をしているとのこと。出張先のタンザニアから帰国です。中国や香港にもよく出張で行くそうで、もちものはやはりすこしリッチ!
車内食堂は高いので飢えをしのいでいた僕をみて、あわれそうに、なんかかってやろうか?と言われました笑
なんかくやしかったので、ただ食べる気がしないだけだ!ありがとね! と笑顔で返しました。
マラウイに突入します。
出国して5カ月がたちました。約半分が過ぎ去り、日本はもう秋。あいかわらず元気です。
ただ、顔がアンパンマンのようにみるみる丸くなっています。鏡があまりないので自分の顔をしげしげと見つめることが少ないんだけど、たまに鏡の中の自分と目があうと
ん?どうした?
ってな感じになります。恐ろしい。野菜不足によるむくみ説が有力です。
たしかに朝起きた時に顔についているシーツの跡が時間がたってもなかなかとれなかったり。21歳にもなったしもう歳なんですかね。アフリカで老いを感じる日々。
スワヒリ語がだいぶはなせるようになってきました。ケニアは英語がメインだけどここタンザニアはスワヒリ語を国語としてしっかり守り抜いてきたため、スワヒリ文化がしっかり残っています。じぶんたちの言語を守るってすごく大切です。津田先生に教えていただきました。日本語も大事にしないとね。
そんなスワヒリ語にはあいさつのバリエーションがたくさんあります。
マンボ? (調子どう?)
ポア! (最高だよ!)
をはじめ、目上のひとに尊敬の意をこめて、
シカモー(あなたの足元に平伏します)
マラハバ(よかろう)
といったものなど。知ってる限りで数えても30はあります。知っていても意味はしらなかったりもします。
人とすれ違うとあいさつ攻めにあい、ぼくも必至に対抗するんですがいっつも負けます。あいさつ負け。
あいてと頻繁にあいさつを交わしお互いの状況を確認し合う。人と人との距離が近い。
おじさんのなかには、シカモーとあいさつしないと返事をしてくれないひとも。
ステイしているところの近くの庭師のおじさんにはじめてあったとき、
ハバリ ガーニ(ニュースは?)
とあいさつしました。ぜったい聞こえてたんだけどおじさんはむっとしてこちらに見向きもしなかった。ぼくは 、しまった! とおもい、後日
シカモー
とあいさつしたところ、笑顔で
マラハバ
とこたえてくれました。
いまはダルエスサラームから1時間程の村でボランティアをしています。
午前中は2歳から8歳の子供たち50人が一つの狭い教室に押込められた状態で英語をおしえています。午後は地区のサッカーチームでサッカーをおしえています。といってもグラウンドは空き地。ボールはひとつ。ゴールはヤシの気のあいだ。裸足。
どちらのボランティアもモノの不足を感じずにいられませんが、それが当たり前となってしまえば不便とも感じなくなります。あたまを使って工夫して。住んでみれば貧しさはあまり感じないものです。
のこり半月でここを離れます。自分がいなくなったあとも彼らがやっていけるよう、しっかりなにかを残していきたい。与えるだけではだめだということを痛感しています。
サッカーチームにボランティア団体からの寄付としてボールを二つプレゼントしたんですが、2週間しないうちにくたくたになって使い物にならなくなりました。ぼくがもう一度団体に掛け合えばボールをゲットすることもできましたが、ぼくがここを去ったあとに同じことがおこれば、それは不可能です。
そこでぼくはあえて団体には要求せず、子供たちといっしょにどうボールをゲットしようか話し合いました。そして出た結論が、ひとりずつお金をもちよって新しいのを買おうと。人数はこれまた50人くらいいるのでひとりあたりの負担はそこまでありません。あたりまえの発想ではあるけど、子供たち自身で解決策を見いだしたことに意味があるとおもいます。
そして自分たちでなんとかして手に入れたボールだから大事にすることでしょう!笑
きのうは彼らが練習中あまりに不真面目だったため、ぼくは怒って途中で帰るというありきたりなパフォーマンスをしました。ちょっとは しまった と思ってくれたらいいんですが。
さて今日はどんな顔をして練習に行こうかな。
ドドマからバスで沿岸部の大都市ダルエスサラームにやって来ました。ナイロビほどはないもののここも高層ビルが建ち、交通量も多い。貿易が盛んだったためインド系の移民の人々がたくさんいます。見かける度カレーが食べたくなる。
標高が高い内陸とは違いここは沿岸部のため蒸し暑い!実はアフリカに来てこんなに汗をかくのはエジプト、スーダン以来はじめてかも。それくらい、アフリカ=暑い というわけではないんです。日差しはめちゃくちゃ強いけど。
そしてこの街でぼくは2度目のスリにあいます。
夕方4時頃ひとりでメインストリートの歩道を歩いていたところ、ふいに後ろから男がひだりうでをつかんで訳の分からんことを言ってきます。すると前方から別の男がおおい被さるようにぶつかってきて。。。
ってこれこの前のやーつ!!!
さすがに同じ手口にはひっかかりません。しかも前回の教訓を生かして財布はズボンにひもでくくりつけていたのでとれるはずもなく。おまけにへたっぴで。あっけなく御用!!
未遂に終わった犯人たちと面と向かうのは気まずいです。僕は2度も同じことされて激しく怒っていたため、
なにやってんだよ!
とまさかの日本語で怒り、相手の肩を強めに押しました。はい。殴ったりはしていません。できません。
顔は焦ってるけど相手はしらばっくれるばかり。隣で一部始終を見ていた物乞いのおばちゃんがよくやったとグッドサインをくれたので、ぼくは満足してその場をあとにしました。
ダルも最近治安が悪くなっていて、ナイフ強盗やATMつれまわしが多発しているらしい。雰囲気悪い。きをつけよう。
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日本大使館へパスポートの切替発給にいきました。
期限が1年をきったんです。これから先の国の入国条件に有効期限6カ月以上なんてのがあったりするので。
最近アジア人の不法労働が増えていてパスポートチェックが厳しく、大使館に預けておくのはよくないということで、なんと!申請から30分程度で10年パス発給してくれました!本気を出してくれた日本大使館。ありがとう!
ダルですることがなくなったので、今はバガモヨという奴隷貿易が盛んだった港町にきています。やっぱり僕はしずかなところがすきだなーと実感します。おだやかですてきなところです。とくに見どころはないですがただひたすらのんびりしてます。最近変な名前の場所ばっかり行ってるなー。
あしたからまた2カ月ボランティアに参加してきます!